看護学校に通っている3年です。
実習で再実習になり、納得がいきません。
注意されたところは改善できてましたし、記録も夜遅くまで起きてやり、指摘されたことは翌日には直して提出し指導者にもOKをもらえていました。
受け持ち患者さんとも良好な関係を築けていました。
にも関わらず、総合評価がDでした。
その理由として、安全に配慮できていなかった事実があること、患者さんにセルフケアを促したことで不機嫌にさせてしまったことでした。元々、気分にムラのある患者さんで、看護師の声かけでも不機嫌になることがありました。記録はなぜD評価なのか納得のいく説明はありませんでした。
指導者だけでなく、教師にも「できていなかったことは事実だよね」と言われ、そこから改善できたことは評価していませんでした。教師は私の意見よりも指導者の意見を優先させているようでした。途中からは、私がどんなに訴えても軽く流され、なにを言っても無駄だと思いました。
教師からの発言で衝撃だったのは「次からはちゃんとみるよ」と言われたことでした。
いい加減な教師と、努力を認めてくれない指導者に不信感を感じます。気持ちをたてなおせず、虚しく納得のいかない思いです。
こんな教師や指導者っているんですか。
指導者や教員の評価にも多かれ少なかれ主観は入りますし、最初の出来が悪いとそういう先入観をもって見てしまいやすい場合もあるかもしれません。
ですが、一学生の当事者視点からしか見ていないあなた自身にも「頑張った」という主観に引きずられて客観的に見えていない部分があると思います。
そういう評価を得た要因を自分自身でしっかりと振り返り次につなげることは大切かなと思いました。
指摘されたことを直すのは当たり前ですし、たとえば10日の実習で最初4日が30点の評価、改善してのこり6日間の評価が70点になった場合、平均点は54点です。合否のボーダーラインが60点なら足りません。改善努力をしたからといって最初から70点以上の評価の人より大幅な努力加点がされるというわけではありません。別の例を出すなら、毎日50点の評価だった人が最終日だけ100点満点だったとして、実習全体の最終評価が100点になるかと言えばそうではありません。(もちろん評価基準は学校によって違うと思いますが、単純化した一例です)
基礎ができていない人の場合、すべてを指摘するとお互いの時間が追いつきませんから最低限のことだけ指摘しますが、そこを直せたからと言ってまだまだのところが多数あるというのもよくあるパターンです。
記録を夜遅くまでやったというような個人的なことは評価とは関係ないです。記録を早く済ませてしっかり睡眠をとろうと徹夜しようと評価が上がるわけではなく、記録のでき具合という結果が評価になります。
安全に配慮できていなかった事実というのはとても気になりました。人間関係を築くことももちろん大切ですが、責任を負えない学生の立場なら患者の安全にはそれこそ注意しないといけません。
「途中からは、私がどんなに訴えても軽く流され、なにを言っても無駄」というのは何を訴えたのでしょうか。その内容と態度次第では印象と評価を下げることになったかもしれません。
教師や指導者の当たりハズレは確かにありますよ。そこは運が悪かったのかもしれないですね。
ただ、努力が評価されない、努力を認めてくれない、という考え方はどうかな?
悪いですけど、どれだけ努力したかより、結果がすべてだと思います。
同レベルの結果を出すのに1日で済むAさんと、寝る間も惜しんで努力に努力をかさねて1週間かかるBさんがいたら、Aさんのほうがコストパフォーマンスがよいぶん評価は高くなります。
自分が正しいと思うことを黙々とやっていればいつでも公平に認めてもらえるわけじゃなくて、相手に合わせたアピールの仕方、世渡りのうまさが必要な場面もあります。
社会ってそんなもんです。
いまはショックで納得いかないかもですが、ここで吐き出したあとは切り替えていきましょう。
不備があなたにあったのなら仕方ないです。
患者との関係が良好と自負されていますが、世間話をすることとコミュニケーション能力は全く違うもの。
患者の生活背景や家庭内、生き方やこだわりなどの個別性を引き出すことができていなければ、コミュニケーションはただの世間話の域を超えず自画自賛だと感じました。
また、患者さんの気分のムラがあるからと自己に都合のいい勝手解釈がありますが、あなたが患者さんをそのように見下している時点でいくら記録を枚数書いたところで内容が看護には何ら繋がっていないと感じます。
安全性の部分については、客気分で実習に行っているのかしら?
意識の低さや最低限のことができないレベルであることを看過していますね。
安全管理、リスクチェックができないあなたを受け入れてくれた患者さんは大変だったでしょう。
病棟の臨床指導者や教員も、あなたのような指導が入り難い学生には手を焼いていると思います。
リハ科でなければ入院患者のモットーと言えば高い医療費払っているんだし、学生の実験台にまでなってやっているんだからやってもらってナンボ、心の深いところで損得勘定をしていることと推察するのです。するとセルフケアなんてありえないし、常に笑顔の最良の接遇を受けて当たり前、と思っている。ならば患者のためよりも自分の高評価を得るためにどうしたらいいのか、患者の思惑の上を考えて実践していくしかないのです。上手な駆け引きをするのです。
もはや患者のためにどーこーではなくて、実験台になってくれての感謝の気持ちでにこやかに接しましょう。
もちろんそんなこと執筆してはいけません。
建前と本音の世界なのです。
ちなみに記録は夜遅くまで、じゃなくて明け方までやり遂げましょう。
教員の「安全配慮の欠如」の評価が具体例はないし、改善後の評価がないことから、行って当然の配慮の欠如として推察します。
自分感覚と他者感覚のズレはやはり評価する側にコビを売らないと、いくら正義感を貫こうとしてもスルーされて限界があるのです。悔しいですけどそうやって社会の矛盾と向き合っていくしかありません。病院という組織に入職するのにも必要なことなのです。
入職したら、高評価してくださる人なんてめったにいません。やって当たり前。できなければバッシングです。自分で自分を称えたり慰めたりするだけです。
自分を認めてもらう、褒めてもらう仕事じゃ無いからね
自分自分言うなら、どんな仕事が良いかな
ちょっと思いつかない
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