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やめようか悩んでいます。(信の2年です。単位は40単位くらい取れていますが、留年が決定しました。)

<2018年07月14日 受信>
件名:やめようか悩んでいます。(信の2年です。単位は40単位くらい取れていますが、留年が決定しました。)
投稿者:てん

 今、通信の2年です。単位は40単位くらい取れていますが、留年が決定しました。この半月やる気がでず、やめようか悩んでいます。もう1年続けるにしても丸っと授業料が1年分かかります留年の経験のある方、気持ちの切り替えかた教えて下さい。またどのような決定をされましたか?実習記録がなかなか看護に結びつかないので自分には向いてないのでは…とも思っています。

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No.1
<2018年07月17日 受信>
件名:ぴよ様への回答をご覧ください
投稿者:ふわふわあるぱか

てん様

こんにちは。まずは留年になってしまった現在のお気持ちをお察し致します。精神的に辛い状態が続きますね。
当方、ふわふわあるぱかと申しますが。少し前に辞めたい旨を投稿されていたぴよ様という方に自分なりの回答をお書きしたのですが、申し上げたいことの骨子はほぼ一緒ですので、同じものを下に貼りますね。どうぞご覧ください。現状、留年確定してしまっておられるとのこと、お辛いかとは存じますが、留年が辛いのか、看護の分野だから辛いのか、一度ご自分とゆっくり向き合って考える時間が必要そうですね。

また、実習記録が看護に結びつかないと言うことですが、あらかじめなにを求められるかを想定することが肝要だと個人的には思っています。

同じものを貼ったもので恐縮ですが、どうぞご覧ください。

先ずはお辛い気持ちをお察しします。

当方は、看護大学3年のものですが、今まで3年、脅してしまうようですが自分にとっては辛いことばかりでした。はじめて患者さんを1人受け持った2年(四年制大学では2年目に配当されていることが多いです)の成人の基礎実習の時には、3週間やらなければならないし、それ自体は嫌いではなかったのですが、私も(失礼ながら)ぴよ様と同じようにどちらかといえば容量が悪く、くわえて体力もないため、家に帰ったら力尽き、食べるか寝るかにしか興味がなく記録物をどっさりため込む質でした。
実習で、患者さんを相手にすること自体は好きで、コミュニケーション面や患者ご家族との関係性も良く、未だ専門職ですらない学生の私が少しケアの真似事をさせてもらっただけでも惜しみなく感謝の言葉をくださるような、そのようなご家族でしたので、人に感謝される看護師という仕事の良さを昼間は存分に感じながら、実習中やり甲斐を感じて過ごしたいました。
その反面、夜は帰って記録物と向き合わなくてはならないのが地獄だったんです。本当に嫌で嫌で、手書き原則だったのもあり、締め切り72時間前とかから泣き叫んでいるんですよね…周りが容量がいい子が多く地頭も良さそうで、そつなくできているように見えるので余計に惨めで、学則で決まっている、生活面のアドバイザーをしてくださっている先生に、もう辞めます、とか、辞めさせてくださいとか言いに行ったこともありますし、向いていないと思うことについて、3時間も延々と話し続けたこともありました。そんな私ですが、私があまりに記録物を書けない(実習が終わり、いざ書こうとするとなぜか何も考えがまとまらずボーッとする、書くスペースの大きさに圧倒されているだけ、こんなのあと◯時間やらないと終わらない、と恐ろしいほどの絶望感に襲われる、毎回こんな目に遭うのならいっそ看護なんて辞めてしまいたいと思う、そして次の日が近づくetc...)ことを訴えると、その時にもらったアドバイスがあります: 実習直後には例えどんな天気でもまっすぐ帰宅せずに学校に残り、今日あったこと、患者さん関連で気になったことをルーズリーフや余白などに書き出してみて、そこから、ひとつひとつ、文章題や論文設問などを解くように、「解答」するつもりで記録物を書いてはどうか、ということです。記録物は相変わらず片付けなくてはなりませんが、自分には結構そのアドバイスが奏功しています。また、あらかじめ図書館などに行き、自分の担当する患者の疾患、怪我のあらましや、年齢、発達段階にあわせたケアの在り方について説いた本を借り(あるいは該当箇所はコピーして)、記録のために作る文章の助けにすると良いのかもしれません。 使えるものは使いましょう。また、指導者が学生に何を望むのかを、よくよく見ておくことです。指導者の大切にする看護や我々学生への指導に臨む姿勢を観察しておくことは、記録物や実習を通して示す必要のあるとりあえずの「答え」への近道にはなります。看護のわざあるところ、人の命のあるところです。確たる正答解などありませんが、実習ではやはり、看護師の卵としてなんらかの学びを得たと言う必要がありますのでね。

私は記録物が辛いというそのただ一点において、この3年間、正確には2年と半年、誇張ではなく1分間に1回は今度こそやめようと思ってきたような人間です。当方の学校はカリキュラム作成にあたっての考え方がやや特殊なため実習スケジュールが他校と比べ前倒しになっており、3年に上がる前に成人と母性ほか、3領域を既に経験していますが、この実習をもしもこの学年で落としたら辞めてしまおう、下の学年なんて知らない子しかいないし落ちるくらいなら辞める、と常にそんな後ろ向きなことばかりを考えてきました。
それでも、褒められたことではないかもしれませんが、第一に、人の役に立ちたいから、だけではなく、正直に言って、将来、専門職者として、安定した生活を送るために選んだプロフェッションです。いつの時代も女性が一人で生きていくことを考えるときに、真っ先に思い浮かべるのが看護職だと言われています。最近また医療ドラマが流行り気味ですが、医療職、中でも看護職を選ぶ動機は、なんでもいいと、ふわふわあるぱかは個人的には思っています。大口病院の容疑者のように人を殺さなければ…根本的に、命を相手にしているなりの倫理観が欠如していなければ、大丈夫です。ぴよ様が、言い方は少々悪いですが、本当に何度も指導されている同じことや難しくない注意点を、どんなに死に物狂いでやってもあまりにも何も覚えられない、とか、本当になぜか最初から全くなんのやる気もないのに身体だけ実習施設にいる(学校に現にこういう方がいます)とか、何をおいても看護以外に他にやりたい仕事ができて、そのために今の看護学生としての地位を捨てても一生後悔しない自信があるとか、そういうことならばお辞めになることを敢えて止めはしませんが…。

でなければ、やはり続けた方が良いと思われます。
入り口の見学実習どころでなくもっと辛いこと、実習はこれから沢山あり、それが辛いならもう看護学生自体辞めるのが吉というのも、確かに一理あるかも知れませんが、これはある程度の慣れと、容量をつかんでいくものです。いかに、早め早めに手を打つか、ということで、鉄は熱いうちに打て!がテッパンの鉄則ということです。私は実習中はいつもこの言葉をお経のように頭の中で唱えています。
これは単なる例えですが、ADHDであろうとなかろうと、嫌なことや難しそうなことは人間先延ばしにしてしまいますし、それが普通の防衛反応です。それでもって、先延ばしにしているうちに次の日に近づいてしまうし、その日の実習を終え、実習施設を後にして時間が経てば経つほど、記録をしっかり書くための材料…つまり記憶や口頭で教えられた知識が頭から蒸発するように抜けていくのは、どんな人でも当たり前のことです。ぴよ様ができない人だから、ではありません。
それに、せっかく学校に入れる力があると認められたのに、ここでその席をなげうってしまうのは本当に勿体ないことです。なぜなら、自分でも心底苦しみながら思いましたが、実習に出れる体力はある以上(休んだり早退しちゃうとか、メンタル的にその場に出て来れない人ならそれ以前の問題ですがね)、記録の完成に関しては根性の問題で、後はやるしかないことですから。私は今実習のない時期には個人経営のクリニックで診療補助のアルバイトをしていますが、そこにいる20代後半の女性などは違う仕事をしていたものの、やはりあまり良い仕事につけず、また民間ではほとんどの仕事が女性だと男性より固定給も安いため、改めて看護師になることを目指して受験&入学費用を貯めるため、毎日必死に働いておられます。その方は、多分私より、そしてぴよ様のバックグラウンドやご来歴は存じ上げませんが、きっとぴよ様よりもお年は上の方です。また、実際に私の昔の知り合いで、准看学校に行っている人がいますが、その方が言うには、今は国策でその数を減らされはじめている准看学校ですら、社会人や再入学組が多く、一般大卒もかなりいると聞きました。つまり、現代日本において看護師は求められる能力水準が益々高度化し、昔の「おしん」のような苦学生だらけ、地方で口減らしにあった女の子が行くもの、3kと言われてまともな人は選ばない、と言ったイメージはとうに過去のものになり、今の社会の実情を考えると、欠かせないプロフェッションになっていると思います。今やアメリカでもそうで、看護学部はどこも、入試すら通っても2〜3年のウェイティングリストに名前を載せられるのが普通だそうです。

それに、仕事としての将来性を鑑みると、看護師は、AIに置換されません。控えめに言って少なくとも、AIに置換され得る最後の仕事の一つになるでしょう。医師、特に外科医や、診断を生業とする病理医などは、最も繊細で人の手や意識が加わらないとなんとかならない部分以外、今世紀が終わるまでには機械化される可能性すら出てきました。医師の仕事にも憧れますが、医師はそのうち余るでしょう。現にイタリアでは外貨獲得の目的もあり、英語でも終了できる(イタリア語のみのところも勿論あります)国内に作られた医学部が多すぎたため、結果として医師が余っていて、仕事がないため言語体系の似た南欧諸国に出稼ぎをしにいったり、他国に移住したり、副業として家庭教師やタクシー運転手もやる医師も出ているほどです。外科医は、医師のイメージの王道で、なんといっても花型の診療科ですが、DA VINCIシステムなど、機械化がやはり著しいです。まあこの器具は人間が熟達しないと動かさないのでまだギリギリ良いのですが、それでも、DA VINCIの登場により、ひとつの手術にあたり十数年前に要した医師の半数も必要なくなりました。また、手先の感覚など、長年修練しなければ身につけられかった医師の専門的で余人には代えられない、職人的な素養も時代を追って徐々に排されつつあり、今では卒業したての研修医でも、かつてであれば長年の経験で熟練した技を持つ中堅どころの医師がやる必要があった手術ができたりします。機械化については、薬剤師などは既にその傾向が見られ始めるうえ、既存のポストに対して供給が多くなり久しいため、薬学部バブルの様相を呈していることがわかります。医歯薬看といった代表的な医療系学部を持つ大学の卒業生進路データをみていても、卒業生は、医歯看はギリギリ上の大学病院に行ける人がほとんどですが、薬だけ異質で、学年で1%も上の付属大学病院に採用されません。地域の基幹病院に就職を決められるのも、ごく一部の上位学生のみです。話変わり、今の日本の多くの大学は、看護学部だけはパンパン新設していますが、経営が厳しいなかでも看護学部だけはとりあえず作っておけば採算がとれる、学生は必ず勝手に数が集まるからこそ作っています(それにより実習施設の奪い合いが起きているのもまた現実です)。
つまるところ、それほどまでに社会からの要請と需要のある仕事であり、また、職域も幅広いためになりたい人が多くいるのが現状。しかも、これだけ看護学部を作っていても、今の日本では、どの学校も名前を書けば入れるというレベルの学校など存在しません。どこもそれなりに競争を経なければ、入らないのです。そのうえ、看護師の職域の広さを考えてみると物凄いものがあります。老人保健施設だって看護師を配置しなくてはなりませんし、医師のイメージの極地である手術だって、現場は医師だけでは成り立ちません。保健師や助産師になるにせよ、日本では看護職の資格がベースにあることが必要ですし、看護学部の教員は今や学校が増えすぎたために恒常的に不足していますので、ミニマム5年の臨床経験を積んで教育の現場にいかばヘッドハンティングの嵐です。訪問看護ステーションだって開業権は医師でなく看護師にありますし、これからの地域以降で益々必要になってくる分野です。専門看護の領域も増え、益々看護師が手を出せる部分も多くなっているのです。日本は多死社会に突入することが明らかなため、将来的には現状、医師しかできない死亡診断すら看護師ができるようにする案も終末期医療ガイドラインで検討されはじめています。国際協力も看護の資格を持っていれば比較的やりやすいものですし、何より多くの国で通用する医療レベルを日本は持っています。見にいったことがありますが、南欧などよりも全体の医療レベルは、看護師をみていても日本のほうが高いです。また、アメリカにも見に行ったことがありますが、アメリカの小児看護よりも日本の小児看護のレベルが高いのもまた、事実です。日本であれば助かった新生児は、世界一の大国アメリカではなんと、治療を放棄され助からないことがあります。アメリカの小児専門の病院で提供される医療レベルは、日本の小児専門病院でなくとも、受けられることがあります。日本の看護のレベルは、例えば小児看護をひとつとっても、やはり高いと言えます。つまり、日本でひとたび看護師になって領域を決め、真面目に研鑽をすれば、色々なところで仕事をするチャンスもひらけると考えられます。あとはご自分次第です。

大変に長くなってしまい、また自説をとくとくとお話してお目汚しをするようで失礼いたしましたが、要するに、ふわふわあるぱかとしては、ひとたび入学してしまえば、看護学校ほど美味しいものは昨今ではありません。

今までご自身で相応の努力をされ、せっかく看護学生の身分を手に入れられたのですから、あとは、看護師になど、努力さえ惜しまければ、なれるものです。これから益々入るのが難しくなることと思いますよ。
ここまで来たのですからもうあとすこしです。留年したってすこしですよ、
競争のあった入学試験は二度と受ける必要はないのです。それに同期は戦い、足を引っ張り合う相手ではなく、今では共に助け合う仲間。先生は、指導教官だと思う時は些細なミスもなにもかも監視されている気がして怖いけれど、見方を変えれば、助けを求めれば手を差し伸べてくれる大人とも言えます。

学生時代など、留年したとして次回は落ちないようにと完璧にやるならば忙しすぎて、あっという間です。辛ければ、記録を書き終わるごとにご自分に好物などのご褒美でも用意しながら、学校は軍隊か予備校だとでも思っていれば宜しいのです。

また、まずもって最初から完璧な記録である必要もどこにもありません。まずは内容がトンチンカンではなく、かつ書きあがっていること、時間通りにあやまたず提出してあることが鉄則だと思います。それがまだうまく出来ない身分なりに真摯に実習にのぞむ学生としての姿勢の最も強力な証明になるはずですよ。


この投稿がてん様さらに追い詰めてしまったら申し訳ないと思うのですが、当方もまだ学生ですので、言葉遣い的には頑張って、ではなくぜひ頑張りましょう、と申し上げたい気持ちで一杯です。
頑張りましょう。名前もお顔も存じ上げない方ですが、ご経験を見ているととても他人事と思えず初めてこういうところに自分なりの回答を投稿させて頂きました。かげながら応援しております。


No.2
<2018年07月17日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

元々は何単位あり、何単位取れていれば進級で、何単位落とされたのでしょうか?
留年となり落ち込みやる気が出なくなるのは分かりますが、今自分がやりたいこと、出来ることは何なのかきちんと把握してらっしゃるのでしょうか。
年齢は書かれていませんでしたが、自立されてるのか?親の援助があるのか?仕事、あるいは学校に行っていなくても生活できる余裕がある貯金はされているのか?他に資格があるからすぐに働ける状態なのか?色々あると思います。
私は通信はしたことが無いので分かりませんが、学校で留年した方は落とした単位だけ取りに学校に来てました。お金関係のことは知りませんが。

ふた通りの考え方があると思います。
今までのお金や時間を無駄にしたく無いから、今度こそ落とさない覚悟で再度履修する。
もうやる気もないし、通信にお金を使うなら他の事にお金を使って資格を取るなり仕事を探すなりする。
どちらも正解じゃないし、不正解でもないと思います。あなたが正しいと思った方が正解です(他人にとっては不正解かもしれませんが)。
てんさんが心からこの行動をとって良かった、と思えるような行動に結びつくように願ってます。
全然参考にならないかもしれませんが、頑張ってください。


No.3
<2018年07月18日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

同じく留年した経験者です。
看護過程や事例でのレポート返却、実習でのレポートに悩み
精神的に辛くなりました。
4年をかけゆっくりと卒業し国家試験に合格、50代になっていました。
現在、正看護師として働いています。
朝車で2時間かけ実習に行った事、日付が変わる前の夜中0時前に直接郵便局へレポートを出したり、今では良い思い出となっています。
留年をしゆっくりとこれからの事を考えてみてください。
それからでも辞めることは遅くはないと思います。

 
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