看護の専門学生です
私は3年過程なのに5年間在籍しています
三年生になったのですがまた留年しそうです
たくさんの先生方に助言を受け改善しようと努力し続けてきました。けど私の努力が足りないのかこの前先生から「あなたには人を思いやる心が人より低いと思う」と言われました
それは看護師になるにあたって1番必要な心だと思っています。ですが自分にはそれが人より欠如してると言われ、ひどく悲しく周りに相談してみたのですが嫌味では無いのかと言われるばかりで看護師になるという希望が持てなくなりました
奨学金も借りていて、親からはもう卒業出来るだろとよく言われプレッシャーで今では自殺の計画をしています。
頭も悪いし社会人としての基盤が出来てないのに看護師を目指すべきではなにのではという気持ちでいっぱいです。
これからのことを考えるとひどく怖いです。
そんな自分を変えられない私自身をひどく憎んでしまいこれからの人生に絶望しました。
どうしたら看護師になりたいという強い思いを継続することができますか?
留年した理由は「人を思いやる心が人より低い」からですか?それよりももっと客観的な指標、例えば病態が理解できていないとかアセスメントや看護計画が不十分だとかのことがまずあるのではないでしょうか。
思いやり云々のことを言った先生は、投稿主さんがなかなか学習面の欠点を改善できないのは対象への関心がないからだろうと解釈したのかもしれませんし、日頃の実習チームや先生とのやりとりの中で相手の都合を考えず自己中心的なところが目につくなどのことがあるのかもしれません。教員といえど個性を持った一人の人間ですから、その言葉が常に完璧に正しいわけでもありません。
思いやりが「看護師になるにあたって1番必要な心」かと言われれば、私は必ずしもそうは思いません。思いやりはたっぷりあっても的確な観察やアセスメントができないようではただの素人さんです。家族や友人ならそれでいいかもしれませんが、看護師としての適性はもう少し別のところにあると思います。お金や安定のためと割り切って看護師になった人が、思いやりあふれる優しく気高い心から看護師を目指した人よりもかえって有能な看護師になったりもします。
私の職場にも、病人なんて大嫌い、生活のために働いているだけなんて言いながら、仕事は誰よりもテキパキ確実な先輩がいます。彼女は問題の多い患者さんにも常に冷静に穏やかに対応しつつ、必要なケアを積極的かつ的確に提案・実施できる優れた看護師ですが、その有能さは決して思いやり第一主義からくるわけではありません。
ところで、看護過程を考える際、対象の強みという視点を持つことを学びませんでしたか。学習面での不備や表面的な言動の欠点は意識して改善することも必要だと思いますが、根本的な価値観や性格を変えるということはなかなかできるものではありません。教員の一言を過剰に気にして「自分を変えられない」と絶望するよりも、自分の強み、自分の長所や持ち味を看護学生・看護師としてどう発揮し伸ばしていくかということもお考えになってみてはと思います。
また、学生としての優秀さと現場の看護師としての優秀さはイコールではありません。学生時代に四苦八苦してやっとこさ国試に通ったような人が、現場では生き生きして大きく伸びるような例も少なからずあります。まずは今の自分の客観的課題についてしっかり取り組まれることではないでしょうか。
私もこれまでずいぶん深刻な経験や遠回りもしてきましたが、何ごとも、その時はどん底にいるようなつらい経験でさえ、いつかずっと先には人生の糧となります。
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