初投稿です。
私は某大学の看護学部に在籍しているものです。
1年生の時に行ったディスカッションを他の方とも行いたいと思い、投稿させていただきました。
今回は精神疾患や精神看護についての意見を聞かせていただきたいです。
私の父は今、双極性うつ病で自宅にてリハビリを行っております。
自殺未遂もしました。
少しずつ会社に行けるようにはなりましたが、まだ復帰のメドは立っておりません。
某SNSの書き込みなどを見ると、精神疾患患者に対する世間の目が冷たく感じます。
どうしたら精神疾患患者の方も差別や偏見がなく社会で過ごすことができるようになるのかなどの意見を募集します。
私が通っていた大学の先生が言っていました。
偏見をゼロにすることはできません、と。
ちなみにその先生は身内に障がい者がいるそうです。だからこそそう実感したのだと思います。
私も障害のある方と接したことがあります。学生時代は精神科に実習にも行きましたし、社会に出てからも接する機会はたまにあります。
全く偏見を持たずに接しているかと言われると、はいとは言えません。
もちろん表面上は普通にしているつもりです。気持ち悪いという感覚はありませんが、怖いという気持ちは心のどこかにあります。
精神疾患になったことも発達障害を持ったこともない人間からしたら、心を病むことの苦しみというのは本当の意味で理解することはできませんし、精神疾患患者や知的障害者の突飛な行動を恐怖に感じることもあります。
それは、危害を加えられる可能性がある場合もあることは事実ですし、そうでなくても不可解な言動や行動というのはそれだけで恐怖の対象だからです。人間は、自分が理解できないことは受け入れられないのです。
精神患者や障害者、またはその家族が「偏見を持たずに差別せず接してほしい!」と訴えても、地域の人や世間が「怖い」「不気味」と感じて遠ざかってしまえばいつまで経っても溝は埋まらないのです。
お互いに理解してもらう努力、理解する努力が必要だと思います。
それでも偏見を完全になくすことができるかというと、それはできないと思います。みんなが皆、病気や障害への理解に積極的ではないからです。理解してもらえるように努力をすることはできても、理解することを強制することはできません。それに綺麗事を好まない人間というのはどこにでもいます。「みんな分かり合える」「偏見なんて持っちゃいけない、みんな仲間だ」という言葉を受け入れられないから頑なに偏見を持とうとするし、それを捨てられません。
無知による偏見は矯正できても、心や長年培ってきた価値観から生じる偏見というのは払しょくするのは難しいのではないでしょうか。
気分を害する内容でしたらすみません。
精神疾患、看護についてでしたが、偏見ということで障害も一緒に語りました。
私は病院在籍中に、ある出来事が原因(詳しく書くと身元ばれする可能性があるので詳細は伏せます)で自殺未遂を起こしたことが有ります。精神科受診、うつ病の診断。何故か入院せずに済みました。
師長から(独り身だったので)自宅療養にすると何するか分からないからと、翌日からだったと思いますが仕事に復帰しました。(もしかしたら、数日休んだかもしれません)
当然ですが未遂をした跡を隠すために、私の場合は暫くの間、頸椎カラーを嵌めて仕事をしました。
暫くは周りの反応が認識として全く入ってこなくて、何故か淡々と仕事をしていました。(自分でも不思議です)
約2年かけて治療を行い、その間、ホームレスの方達の為の炊き出しや夜周りなどのボランティア活動をしている職員に誘われて参加しました。
周囲のスタッフからも偏見の目で見られたり差別された記憶も有りません。むしろ温かく見守って頂きました。(私の気付かない所、見えない所では有ったのかもはしれませんが)
そして自分に自信を持てるようになった時に、これ以上甘えてはいけないと思い、お世話になった病院を去りました。
私のケースは特別なのかもしれませんが、その人いる環境が大きく影響するかもしれません。
しかし、今はSNSを始め色んな情報が入手されやすい環境にあるために、スレ主様が言われるように「某SNSの書き込みをみると・・・」と、情報で判断されることになりかねませんか?それも一つの偏見では。
お父様の場合はどうなんでしょうか。実際にお父様が接する環境でも差別や偏見があるかもしれませんが、優しく見守ってくれる方達もいるから、少しづつ会社に行けるようになっているのではないですか?
全ての精神疾患患者に対する差別や偏見をなくすの難しいと思います。
それをするには、子供のころからの教育が必要だと思いますが完全に無くすのは無理だと思います。
逆に差別や偏見は、見かたを変えればスレ主様を含めて一般的な人間と違うからですよね。
それに対して差別や偏見を完全になくしましょう。出来ますか?
例えとして極論で適切ではないかもしれませんが、白い杖を使っている方に普通の人と差別しませんと言えますか。
私は、それよりも差別より区別して考え、看護職として一社会人として考えた時に、その人に不足している部分に出来る援助を行いたいです。それは精神疾患の患者に対しても同じです。
最後に、歴史的見ても差別や偏見は時代と共に変わります。
昔は男尊女卑が当たり前でしたが、今は違いますよね。
逆に今のアメリカの外交はどうでしょうか?
移民の国であるはずのアメリカが特定の国の人たちを入国禁止にしようとしたりしています。(テロに対する対応といっていますが、その事の賛否はここでは議論しません)理由はどうであれ、これも差別ですよね。
差別や偏見はその時代の価値観でも変わることがあるんです。
スレ主様の意としている意見とは違い、喧嘩を売ってるような内容ですいませんが、これが私の意見です。
知的障害を伴う発達障害児2人の母です。
障害をもつ人が1番差別をする、と言われるのを聞いたことあります。知的や精神の障害者は就職に不利で「身体障害者はいいよな~」って思う。これも立派な差別だと思います。
それに、あの人より自分はまし、だとかああはなりたくない、だとか思うのも、やはり差別ですよね。この世に障害者のいる限りきっとなかなか差別はなくならないと思います。障害者自身が差別をするから。
人は少しでも他人より優位に立ちたいんです。
私の身近に差別と偏見とひがみのかたまりがいます。
彼は、自分も小さいくせにより小さい人をバカにします。
気の効いたジョークでも言うように
本人も気にしているようなあだ名で呼んでいます。
出っ歯、ギョロ目、相手に怒られると冗談だよと逃げる。
本人もかなりみっともない容姿なのですが。
収入が高い人には、あの人は日本人のふりしてるけど在日だとか、
芸能人もこの人は在日だとか。
自分になにも自慢がないと「俺の祖先は源氏だ」
聞いてる方はこいつバカすぎると思うだけですが。
こういう人たちが障害者に対しての差別をSNSで言ってるのでしょう。
自分を振り返ると、看護師になった理由は、
病気で困っている苦しんでいるかわいそうな人を助けたい、
なんて小さい頃に思ったのかもしれません。
でも、それは「他人をかわいそうと思える私って、余裕ある人間だわ」
とでも思いたいからかもしれません。
(ナイチンゲールやマザー・テレサのようないいところ出身だと、
神につかえる心で、かわいそうな人たちに関わっていると思います。
皮肉ではなくストレートに尊敬しています。)
ディスカッションしたいという割には反応がないのですがお忙しいのでしょうか?
これだとただお互いの考えを出し合っただけなので、お時間あるときにでも一言いただけると嬉しいです。
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