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看護記録(長く書けばよしとされるのですか?)

<2014年06月28日 受信>
件名:看護記録(長く書けばよしとされるのですか?)
投稿者:ぽん

皆様も同じようなことは思ったことがあるかもしれませんが、看護記録ってたくさん、長く書けばよしとされるのですか?
なんかただ状況をだらだらと書き続けたりまったく根拠にもならない推測でもたくさん書いて埋めている方が評価されるみたいなところありません?

完全にADLが自立していて身の回りのこともほとんど自分でできる人に対して無理やり何か探して介入させるというのは意味があるんですか?空欄が多くなってしまっててもその人に何が本当に大切かをまとめられていれば長々とどうでもいいことを書くよりよっぽどいいと思うんですが、量をかかないとダメという風潮は専門でも大学でもどこでも同じようです。ちょっと意味がわからないです。

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No.1
<2014年06月29日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

完全にADLが自立していて身の回りのこともほとんど自分でできる人なのに、何故入院しているのでしょうか?

入院前、家では毎日入浴していたとして、病院でも毎日入浴しているのでしょうか?

入院前、家では毎日排便があったとして、病院でも毎日排便があるのでしょうか?

入院前、家では自炊していたとして、退院后の食生活の留意点は無いのでしょうか?

入院前の運動量と、病院での運動量は同じなのでしょうか?

退院した後、その人は自分で病気のことを調べて注意点を学び、今後の生活にいかしていくのでしょうか。

何でもできるように見えても、全ての項目で入院前に比べてできないことはあるはずです。

退院に向けて、その人のこれまでの日常生活を目指していかなければなりません。

学生時代は技術以上に、思考訓練の場です。一つ一つ、じっくり考えて、
・健康だった時の日常生活
・入院中の生活
を照らし合わせて、その差を見つけて下さい。
そこが、介入のポイントです。

自力で食べられるのに、食事介助をする必要はありません。
でも、入院前、家でおしぼりで手を拭いていた人なのでしょうか?
洗面所や台所で手を洗っていたのでは?

車イスに乗って、洗面所に行き、手を洗えるように介入したり、
ベッド上で安静でも、シャワーボトルと洗面器で手を洗ってもらえるように介入したり、
家での生活に近付けるための介入が、沢山あるはずです。

指導者は学生の思考を知りたいので、思考を文章にしてくれないとわかりません。空白だと、考えていないのかな?と思ってしまいます。

空白にせず、【完全にADLが自立している。身の回りのこともほとんど自分でできる。無理やり何か探して介入させるのは意味がないと思う。だから介入しない。】と書いてみてはいかがでしょうか。


No.2
<2014年06月29日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

私も、長く書けば良いとは思いません。教員も意味もなくだらだらと長文で書かれた記録を読むのはイヤだと思いますよ。
でも、もし主さんが「記録が少ない」と指摘を受けたのだとしたら、書くべき必要な情報やアセスメントに不備があったからでしょう。それは教員からコメントあるでしょうし、分からなければ聞いてください。
でも、もし教員や指導者から「何でも良いから長々と書いて」と言われたとしたら、そんな学校辞めた方が良いかもですw


No.3
<2014年06月29日 受信>
件名:無題
投稿者:主

No1さん、ありがとうございます。ADLが自立しているというのはあくまでたとえとして出しました。すいません。聞きたいこととしての根幹は「意味もないことを量だけ書くのがすばらしい。要点がまとめられていてもスカスカだと全然ダメ」みたいな風潮が看護にはあるのでは?と思ったことでした。しかし
>指導者は学生の思考を知りたいので、思考を文章にしてくれないとわかりません。空白だと、考えていないのかな?と思ってしまいます。
という部分は大変参考になりました。ありがとうございます。


No2さん、ありがとうございます。私が言われたわけではないです。同級生である教員から「私は記録に『量』を求めます。びっしり書いてください」と言われた人がいるのです。なんか意味もなくただ埋めるということがスバラシイ、患者様を看れているみたいな教員、指導者をたまに見かけます。


No.4
<2014年06月30日 受信>
件名:昔の悪しき風潮
投稿者:ひろりんピロリ

結論から言うと長く看護記録を書いても意味はない。
看護師になって病棟で患者に大きな変化ないのに、患者の申し送りを長くしても意味はない。
それはあくまで、自分はこんなに患者の事を考えて、観察したりしてるの!すごいでしょ!というパフォーマンス。
長く書いてある、申し送りが長い=仕事が出来るという昔の看護師に多い悪しき風潮です。


ただ学生のうちしか一人の患者に長い時間ゆとりを持って関われないから、その中で観察力を養ったり、患者のために何がいいかなどを考える力を養うと意味では必要だと思いますよ。
看護師になり、病棟で働くならクリティカルパスに沿ったり病棟の予定などに合わせたルーティンワーク。一人で数人から数十人を担当するから効率重視で手際よくこなさないといけない。手際悪い看護師は使えない、役立たずの烙印を押される可能性もあるし、最悪同僚からイジメや嫌がらせの原因にもなりえるから。そういう環境の中で患者のことまでいちいち考えてられない面も出てくるのが現実。

だから学生時代には非効率で、時にはやることに意味があるのか?という援助もさせられるし、教員や指導看護師からすると生徒の能力を知るために記録を書かせる。学生のことを知れば助言も出来るだろうし。

患者のことを考えるのが看護の基本。ということでしょう。


No.5
<2014年07月01日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

主さんへ
>「私は記録に『量』を求めます。びっしり書いてください」と言われた人がいるのです。なんか意味もなくただ埋めるということがスバラシイ、患者様を看れているみたいな教員、指導者をたまに見かけます。

う~ん、ちょっとひどいですね・・・。
ちなみにうちの教員は、絶対的な内容重視です。
内容と関係無い、使わない数値やら情報書いてると、「これは何か意味あるの?」とダメ出しくらいます。同じようなことを繰り返しダラダラ書いてる子がいて、説教されてましたけどね。
ボリュームが無くても、内容的に必要なことが書けてれば何も言われません。


No.6
<2014年07月02日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

内容的に合致してても、いろんな視点で捉えているか、どうか。
教科書やネットで得た情報より、あなた自身がどう感じ、どう考え、どのように介入し、どのように評価し…。
じっくりと1人の患者さんについて時間がとれるのも、いま、だけかみしれません。
根拠も最初から分かっていることは少ないかもしれません。経験を積むと文献だけでなく
『あのときのことは…だったんだ』と想い起すことも。
看護の深みと幅を極めるためにも、けっしてあなたが否定されているとおもわず、謙虚に。
短いものを長くするより、長いものを短くするほうが…。

 
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