看護師に向いている人とはどんな人なのでしょうか?
実習先の看護師にもっと患者さんの気持ちを考えて
行動するように言われました。
私なりに患者さんの気持ちを考えてケアしてきました。
これはただの自己満足でしょうか?
教師からは遠回しに看護師に向いていない、
なんで看護師になりたいの?と聞かれました。
入学当初の気持ちが薄れてきてがんばろうと思えません。
看護師の夢を諦めるべきでしょうか?
えー?なになに?諦めるとかむいてないとか早すぎ!!
それにしてもこんなこと言う教員、ここの掲示板の話題で目立ちますね。信じられないくらいです。
まあ、それはさておきそんな教員を変えることはできないので…
患者の気持ちを考えていないと言われた理由ですね、その場面をしっかり振り返らないと、なんの解決にもならないと思うので…
もし心当たりがあってここで書ける範囲のことを教えてもらえると、もっと具体的なアドバイスがもらえると思いますよ。
私も専門学校2年生です。
二年生さんと同じく、実習で教員から「看護師にむいていない」看護師から「患者さんのことわかってない」と言われ続け、学校も何もかも投げ出してしまおうかなぁなんて思ってました。
学校の友達や別の看護関係の知人に相談したら、以下のようなことを言われました。
100%看護師に向いている人、って誰の価値観?
完璧な先生も人もいないんだから、自分のペースで問題を考え、解決したらそれでいい。
看護師が見ている患者さんと、先生が見ている患者さんと、私が見ている患者さんの見え方は全然違った。
このような言葉をかけてもらって、今は勉強をしつつ自分の人間関係を振り返ったりして「気付き」を増やせるように考えて毎日を過ごしています。
実習も勉強もできる友達も「入学当時の熱意はないけど進むしかないから」と頑張っている子もいます。
まだ看護師の勉強をして1年、これから看護師として仕事をできる人間に自分を育てていけばよいのではないでしょうか。
悠長な事を、と陰で笑われる先生もいらっしゃるかもしれませんが、問題なく看護師になって、楽しくやってきただけの看護師なんていらっしゃるのでしょうか。
悩むこともまた、その辛さを学ぶ学習なのかもしれません。
二年生さんが悩んでいることを同じように悩み、理解してくれる人を欲している人はいるはずです。
といっても私も実習は不安で、このまま学校にいても時間もお金も無駄になるのかな…と考えることがないわけではありません。
3年生になって、何度も実習をして、それでなお「向いてない」と言われるのであればまたどうしていくか考えようと思っています。
長文失礼いたしました。
進学もできなくていくとこなかったらやってみたら?
でもまじで人の助けになりたいと思ったら上から目指せば?
医者とか なれやしないって?
しらべたの?調べてダメだったらしょうがないけど、
これからの時代自分で行動起こせない奴は大変よ。
それで看護師なったって、世間知らずになって、
天狗になって、病院やめる人多いよ、
ここが納得いかない!とかいっちゃって。
世間様は合わないから辞めたのねとしか見ないけど、
自分は俺は間違ってないとか言っちゃって。
世間の会社の人と違って、医者の影響のせいか、
医療者は世間的常識がない人多い、
私はそんなことない?自覚がないから怖いし、
他人のことをもっと考えてなんて言われる人は、自覚しないことが多い。
普通の会社入ってからでも看護学校入っても遅くないんじゃないの?
世間しってる人は病院のほうがマシだって思うのかな?
それとも、あんまりひどくてひっくりかえるかな?
まだまだ始まったばかり。これからだと思いますよ!!
人には確かに向き不向きはあります。
でもだからと言って、はじめのうちから諦めてしまったら後悔が残るんじゃないでしょうか?
人一倍頑張って、実際に現場に出てやってみなくちゃわからないですからね。
私も偉そうなこと言えませんが、やっぱり初めのうちに断念してしまったのを
後悔してます。周りに何を言われようとやりたいこと貫き通してください!
看護師になったとき、絶対に二年生さんにしか出来ない看護があるはずです。
頑張ってくださいね〜!
先生や指導者はそういうことをだいたい言うよねー。
ただでさえ楽しくない実習がますます楽しくなくなるよね。
自分を振り返っても、何について看護師向いてないとか言われるのかわから
ない場合は 先生に直接聞くか、嫌だったらその言葉は聞き流す。
私が考える看護師に向いてる人の条件は・・・。折れない心を持ち、何言われ
ても平気な人。
今は納得できないかもしれないけど、勤務しだしたら わかってもらえると思い
ます。(笑)
大丈夫!資格目指して体調に気を付けてガンバレ!
教師も私にかわってほしくて厳しいことを
いっているのはわかります。
でもどうしたらいいのかわかりません。
実習では自分が看護師にこうされたらどうだろう?
こんないわれ方をされたらどうだろう?と思いながら
行動しています。
これでは患者さんの気持ちを考えられていないのでしょうか?
私は社会人入学です。
ここで諦めるわけにはいかないので
あと一年がんばるつもりです。
例えばですね、足浴をしたら気持ちがいいと思うと思います。だからやってあげた→でも患者は必ずしも満足するとは限らない、ということがわかりますか?
もしかしたら、自分が良かれと思っていることと、患者のニーズやタイミングがあっていないということはないでしょうか。
それを確認するのはまず「患者さんに確認すること」です。
自分はこう思ってやっていると書かれていますが、患者さんはどう思っているのでしょう?
全然失礼ではないです!
お返事ありがとうございます。
言われてることはわかります。
患者と関わる時は表情を見たり声をかけているのですが
それでは足りないのでしょうか?
質問ばかりですいません。
自分が思うこと と 他人が思うこと を混同していると思います。ある意味、他人の表向きの表情、言動をみて、自己判断しているにすぎないのかもしれません。指摘をうけているのは、そこではないかと思いますよ。
いくら表情をみたって、心のなかでは違うことを思うことは多々あるし、学生につきあう建前というのもあるかもしれない。確認した、これもただ聞くだけでは、御用聞きになります。誰でもできることです。相手はなぜそれを言うのか、そこを詳しく相手と話し、その情報からアセスメントして、相手の言わんとする本音をつかまなくてはいけません。それができるのが看護師です。コミュニケーションも、ただ話すだけでは一般人でもできますよね。それに技術、と教科書などに書かれているのは、看護師として、コミュニケーションテクニックが必要な場面が多々あるからです。臨床では、そういう技術が患者にも、スタッフに対しても、必要になってきます。実習はその練習だと考えてください。
私は二年生さんの文章だけで、勝手に想像して思いついたことを書いています。だから見当違いなことや色々な意見もあると思いますがお許しください。
(教師マン様、私も同感です)
足浴の例で話を続けると、例えば患者さんは確かに足浴は気持ち良かったけど、本当は歩行訓練がしたかったかもしれないと仮定します。そうだったら足浴をして清潔ケアができたと満足するのはちょっとずれていて、自分の自己満足になってしまいます。もちろん清潔の援助も必要なことですが、今優先するケアなのかということです。
でも、会話の中から患者さんに訓練の意欲があることを察知して、「足浴と軽いマッサージをすることでリンパや血流が良くなり、むくんでいた足が軽くなったと実感できたらもっと歩きやすくなるかも?」と考えてのことだったら、そしてそれが患者さんが望まれることだと確認できたら、更にオッケーだと思いませんか?
それが、「患者さんはどう思っているのか」と聞いた部分です。この言葉だけを切り取って考えてもらうと不十分です。私は、『自分が良かれと思っていることと、患者のニーズやタイミングがあっていない』かもしれないことも書いていますが、言葉が足りなかったかもしれませんね。
私は、患者さんのことを考えるということは、患者さんのためになることを考えられる、ということじゃないかと思います。
そして、自分が考えて行動したことを文章化する力も必要です。心で思っているだけでは伝わりませんし、考えて行動した証明になりません。(記録のことです)
学生は、訓練・勉強中なんだから完璧でなくていいんです。
それに、患者に必要な1番を的確に探り当ててエビデンスを持って援助することは、本当は看護師でもなかなか難しいことです。
だから今の時点で向いているとかいないとか、考えなくていいです。
こうして、なんとか頑張りたい、どこがいけないのか知りたいという姿勢があるのですから、教員や実習指導者に、実際には何が足りないのか具体的に指導を仰いで、がんばってほしいと思います。
教師に色々言われて不満な部分もあるでしょう。が、文章を読む限り、教師のいう内容がまちがっているとは考えにくいです。自分だったら、こういわれてどう思うとか、自分だったら、こうされたい、というのは、『自分だったら』つまり、自分の主観で物事をみている、ということになります。単なる友達関係なら、それで他人を思いやる、ということですまされます。が、それを看護でやると、患者のことを考えて、とは言わないのです。主観が先に立ち、患者の本音に対する根拠がない。患者の気持ちは患者にしかわからない。だからこそ、なるべくそれがわかるためには、沢山の情報を集め分析し、根拠をもたなくては、患者の核心にはせまれないのです。ただ無難な表面上の世間話や、やり取りだけでは掴めないこともあります。コミュニケーションは、そういう場面で『技術』が必要となるのです。
お返事ありがとうございます。
教師マンさん
相手がなぜこう言うのか、私は実習中にそこまで
考えきれていませんでした。
表情だけを見て、勝手に判断していました。
これではただの話し相手でしかないですね…
No.1さん
例をよんで私のケアは自己満足でしかないのだと思いました。
今日このケアを計画してきたからしないといけない!
と思って実習では行っている状況です。
患者さんの状態をみて計画を変更したりはしますが
基本このような感じです。
足浴でも血行をよくするため、疲れをとるためにしよう
という所までしか、考えきれていませんでした。
リハビリに繋がるところまでいきつかない私は、
やっぱりただの世話がかりですよね。
記録については、自分が考えて行動したことが
文章にすると消えてしまうのです。
それは私がなにも考えずに行動しているからなのでしょうか。
向上心があり、より良い看護を追求する看護師でも、
私的には、自分のキャリアやスキルアップばかり気にするヒトは、
患者からみて看護師としてどうなんだろうと思う。
自分の責任に真摯に向き合う姿勢のある人は看護師に向いている。
というか、職業人として真っ当であると思う。
向上心やスキルを重要視するのは、仕事上必要です。看護師は一生勉強だし、医療も日々変わりますから、それがない人のほうが、むしろ困ります。昔のやり方のまま、知識のまま、仕事ができない人には、患者は命を預けたくはないでしょう。ただ施設で療養するだけなら、それでもいいかもしれないけど、お金払って病院にきているのに、スキルもなにもない人には任せたくない、というのが患者です。だからこそ、人や内容によってはクレームもくるし(モンスターは除外)、病院ランキングとか、医療体制の情報とかが出回る、それだけ患者も敏感になっている、ということでしょう。ビジネスの社会さえも、向上心のない、学ばない人は、伸びないし組織のモチベーションをさげる、ということが経済雑誌にも書かれています。
向く向かないのは、個人的な思いもあるかと。向かなくても、社会人として常識があり、仕事をこなせれば、社会としては合格です。確かに適性はありますが、いかに自分が職業にあわせられるか、が問題です。
実習ですから、計画したことをしたいし、いきなり中止っていうなら、じゃあ何をすればいいかわからなくなりますよね。
自分なりに考えてやるのはいいと思います。
「こうだから、こうしてあげたい、こうすればいいかも」という考えから計画に繋げて、それが記録に反映できればいいと思います。
でもここで説明するのって難しいですね。二年生さんの理解や解釈のしかたを確認しながら言葉を選べないからです。
実際には直接指導してもらうのがいいと思いますよ。
すっごく根本的なことお聞きしますが、、、
看護過程を展開してからの実習で援助を行っているのでしょうか?
それとも技術援助のみの、いっちばん最初の実習しかしてないのでしょうか?
患者の状態を多面的に見て、今患者に必要な看護を見出し、優先順位を考え具体的な介入計画を考え実施して評価する。
この看護過程の基本的な思考を習いました?
『足浴は自分もやられて気持ちいいか患者にも実施する』は素人です。
ただ、看護過程を学んでない状態であれば、この素人思考は致し方ないと私は思いますよ。
私は患者さんと接するとき、患者さんのおもいに共感することを一番大事に考えています
原因となる事柄があって
原因の飛躍したところに
看護師にむいてない、ということばがある気がして…
あきらめないで乗り越えてほしいです
僕は専任教員講習に励んでいますが、その中で気付いた事があります。教員には勘違いしている部類の人格障害的な人物と苦労人の現場叩き上げ系の人と2タイプあります。前者は教育理念の高く教員の型にはめようと初めは傾聴しスイッチがはいると理論理論、根拠根拠と語ります。後者は現場の実情を理解し全人的に学生を捉え力量を見極める事が出来るが厳しい。と言った特徴を持ちます。まずはネックになっている教員がどちらのタイプか見極め、タイプに合わせた対応をすべきだと思います。学校を去る事は簡単ですが、貴方が看護学校に入った事で明らかに他の受験生が、不合格になっている事を一度考えてみて下さい。僕も今は学習者なのもあり、ドロドロした人間関係に悩んでいます。しかし、終了後に自分がどうしたいか先を見据えて今は我慢だと言い聞かせています。能書きばかりの看護教員は沢山いますが負けないで1つ1つを確実にこなす事で必ず道は開けます。実習はコツであり時に理不尽な結果が出る時は有りますが将来的にはそういう人が花開く場合が多いので自信を持って下さい!長々とゴメンなさい。
思い出します、そうなんです。
指導者のなかに、そうやってズバズバと言う人。
あなたは知識と経験があるから、そうやって突っ込みたくなるかもしれないけど、こっちはいっぱい、いっぱいなんだよって
ならそれを導くように、こっちに指導しろよって感じですよね。
私も散々、人間否定されながら実習をしてきた者なので、それって、頭のなかで整理できないのもあるんですよね。
余裕があれば、患者さんの気持ちを組んだ看護ができると思います。
あんなに学生時代、人間否定された私でも、今は師長からも丁寧な看護をしてると、なんとか認めてもらっているので、そんな指導者や教員の言うことなんて気にしないでくださいね。
根拠や理論の裏づけなく、また、それが臨床とつながってないと、医療は発展しないし、安心な医療は提供できません。感情論では冷静な判断すらできません。オブラートにくるんだ指導や、根拠のない指導は、あいまいさや、不確実性を招きます。これが常習化してしまうと、医療事故につながりかねず、患者だけでなく、本人が結局困ることになります。なので、学生のころから、根拠理論をしっかりさせるのは、上記の意味でも、大変重要なことです。
資格取得の学校は、義務教育ではなく、また教師や生徒が馴れ合う、触れ合う場所ではありません(むしろ、患者と医療の場で、きちんと触れ合うことができるように、訓練する場所かと)。度をこした、噂話のような嫌味や言葉なら問題でしょう。しかし、問題の本質をついている場合は、逆恨みせず、冷静に受け止めないと、自分のためにはなりません。ちなみに、自分に痛いところをつかれたり、客観的な問題事象にのみ、述べられた言葉は、指摘された側にとっては、ネガティブにとられがちです。「意地悪」「自分はわるくない(他責)」「冷たい言い方」など・・・
仕事は、感情論だけではできない部分があります。他人を責めるだけでなく、自分に足りない部分はどこか、また、問題の本質はどこか、考えてください。そういう指摘をしたり、考えさせる先生が、後々自分のためになります。安易になれあう、優しいだけで答えを安直に教える先生が、いい先生とは言い切れません。それは、多分、学生や、新人あたりまではわからないでしょう。年代が上がり、自分が上になると、よくわかると思います。
このサイトはリンクフリーです。好きなページにリンクを張って頂ければと思います。
看護学生お悩み相談掲示板